はと/石鎚①

●登山道の最初の休憩場(第一ベンチ) メンバーはもう一人います。


 8月19日に帰省していた3人の卒業生(大学2年生)にせがまれて、石鎚に行って来ました。この3人は、高2のときに連れて登った石鎚以来、山好きになった者達です。山好きとは言っても自分一人では登らず、こうやって私におねだりをしてくるのです。昨年も石鎚に行きましたが、帰路は、長ーい長ーい御塔谷で下山してけっこうくたびれていましたが、御塔石(天柱石)にはたまげていました。最後のご褒美は、ふもとの川遊びです。アブに刺されながらも思い切り泳いではしゃぎました。はしゃいでいないと水が冷たくて冷たくてやっていられないのです。

 で、今年の石鎚は登りを変えました。北壁トラバース道に入るところから、突然稜線をぐんぐんと登って行くルート、通称「東稜ルート」を通って南先鋒へ上がることにしました。もともと登山道ではなく踏み跡なのですが、突然入り口に今までなかった「通行禁止」の立て札あり。掲示主も理由も書いていないものでした。このルートは危ないけれども、その分注意するので事故はなかったはず。踏み後を自然に戻すためのものならば、その旨をきちんと書いたらよかろう、と考えて、無視。すると3人から、「出た、いつものパターン。これでなくっちゃ。」と大いに喜んでいる。今までも、彼らと行ったところ、「下帝釈峡」などで「通行禁止」「進入禁止」の掲示を無視して、フェンスを乗り越えて行っていたので、よほど嬉しかったのでしょう。

●東稜分岐点付近の藪。ここは野外トイレだと思っている人も多い。ほら、証拠が!


 ともあれ、東稜は真夏の笹が繁茂していてほとんど藪でした。おまけに昨晩雨が降ったのでしょう、濡れていてしばらく歩くとズボンはびしょびしょになりました。でも彼らは「さすがは先生。だから先生と行くとおもしろい。」と言いながら、汗びっしょりになりながら必死で楽しそうでした。ひたすらガサガサとやりながら、そのうちに南先鋒直下の核心部までやって来ました。誰が名付けたか、剣岳の岩場と同じ名前の「カニの横這い」があります。大したことはありませんが、油断は禁物で滑落すると笹の急斜面を南沢まで落ちてしまうでしょう。最後の岩場には、おやまた誰かが鉄の棒を打ち込んでいます。これではスリルがありませんね。力を試すこともできません。それを使わずに登れと命じていると、上から声あり。「そこに鉄の棒があるじゃろう。それに足をかけるんじゃ。」頭上に一人の親切な中高年あり。いや、それは使わないことに…。「右に回った方が楽じゃ。」「そこの木の根っこをつかんで。」困りましたね。うっせーな、とも言われずに、みんなそろってありがとうございます、と言って登って行った。これに近いことは下界でもありますね。きっといいことなんだろうけど、ちょっとねー。

●通称「カニの横這い」初めての人はけっこう怖がる。ここからの南稜の絶壁はみものです。


 この時点で11時です。少し早いけれども昼食にしました。弥山や天狗は人が多いので、人の少ない南先鋒が気が楽です。そうそう、出発のことを書き忘れていました。福山を出たのは、前日土曜日、夜の授業が終わってまもなくの9時50分です。前日に出ないと早起きはくじけることがあるし、僕の通常の就寝時刻は2時~3時だからです。彼ら3人を乗せて、2号線、しまなみ海道、松山道、33号線、面河線とひた走りに走って、2時頃に石鎚スカイライン面河駐車場へ着きました。スカイラインは夜は閉鎖されて朝の7時にならないと開きません。それまで車でおねんねが僕のパターンですが、今回は3人いるので、テントを張りました。これがまた彼らを刺激して興奮して寝てくれません。そもそもやつらは車の中で半分は寝ていたのですが、おいらは今から寝ておかないと明日がつらいんだ。駐車場で寝て翌朝を待つお仲間はいつもいます。この度は、軽4のおじさん一人と普通車のおじさん一人。後者の方はトイレの入り口で寝袋に入って寝ておられたので、見た瞬間オロクかと思ってしまったぞいな。前者の方は孤独なのか、カーステを鳴らしながらお酒を飲んで、そのまま野宿だった。大型バスが停まっていたので、中に誰かいるのだろうがとりあえずおとなしかった。ところが、それは今日の日本大衆登山を支える中高年、そしておばさんたちの大一行であった。早朝5時に起きだして、わいわいがやがやとしゃべっている。ふとこんな声が聞こえた。「ありゃま、ホームレスがテントを張って寝ている。」むむむ、テント、つーことは俺達、つーことは俺達イコールホームレスかい?3人のうちの一人がぼそぼそと我々にしか聞こえない声で反論した。「お前達はテントレスじゃないか。」ともあれ、このテントレスたちは、その後、朝の宴会に移った模様で、カチャカチャと食器の音がうるさかった。やっとわれわれが6時過ぎに外に出てみると、今度は一同そろってストレッチをやっていた。リーダーらしい人が一人一人ストレッチを指導して歩き、蘊蓄を語っておられた。そのそばでは運転手が大あくび。さて、われらはテキトーに顔を洗ってテキトーに飯を食ってテキトーにトイレに行って、ゲートが開くのを待って、その後は土小屋まですいすいと登って8時前に登山開始となったのです。が、しかし、あいにくの曇り!下界は絶対的な晴れ、来る日も来る日も絶対的な晴れだったのに、これはどうしたことだ。聞くと、山はもう不安定で不安定で、下界の日本晴れをよそに毎日夕立、毎晩雷雨らしい。不思議ですね。太平洋の気団が四国山地にぶつかって起きる現象ですかね、やはり。

●石鎚山頂はガスに包まれています。おまけに暑い暑い。 


 残念ですが、時間切れです。続きは、来週になります。いつもいなくなってごめんなさい。でも、瓶ヶ森・しらさは頑張って取り組みます。
  

2007年08月28日 Posted by Poppo at 05:33Comments(3)

はと/瓶ヶ森集合!

 今年の夏の瓶ヶ森は最高! 雷が鳴っていたけど、さー行こう(オヤジ?)



 みなさん、こんばんは。やっと時間が取れました。昨日で夏期講習会が終わり、後始末と秋からの新学期の準備(中途半端ですが)が一応終わったので、1週間の休みがあります。塾業界は、日曜と祝日に仕事が入ることが多く、一月のうち日曜日の半分は仕事に出なくてはなりません。したがって、休みを取れるところでまとめて取る、取らないといけないことになります。今の時期は、子供達は学校の宿題や補習で、塾どころではなくなるので、ちょうどよいのです。お盆は短いですけどね。

 ここ2回ほどの休日は、父母を県民の森に連れて行って、戸外でいっしょに焼きめしを作ったりそうめんをゆがいたりして、休養をかねて親孝行をしました。私がこんな年になっても親は子供といっしょにあれこれしたいものらしいです。とくに何をするというわけでもないのですが、たいへん嬉しそうにしています。実は、あさってから6日間中国へ旅行に行って来るので、そのバランサーでもありますが…。人生は、必要なだけのお金があればいい。お金を貯めない分、元気な間に行けるところに行こう、と決めてからはもう海外旅行行きまくりになりました。長期休暇は必ず出かけます。年間3~4回行っています。その分、預貯金はほとんどなし。親の葬式代だけは貯めておけと言われているので、それはまあちゃんと…。怪我と病気は保険で何とかして、将来は年金とアルバイトで細々と…。子供たちに直接はお金がかからなくなったので、いいのですが、やはり親としては、彼らのいざというときのために少しは蓄えをと思っていますが…。
 などという話も、みなさんと今度会ったら話したいですね。これからの人生をどう生きるかを、きっとみんなとなら正直に本音で話ができると思います。ということで、山の話を交えながら、ぼちぼちと次の企画を練りましょうね。

 ルンルン踊りか体操か。はたまた笹原に飛び込む前の準備運動か。



 いくつも考えていますが、まず大きめなものから行きましょう。10月7日・8日で「瓶ヶ森」と「山荘しらさ」を進めていきたいと思います。この連休は石鎚の山頂は紅葉真っ盛りですが、瓶ヶ森・瓶ヶ森林道周辺は、残念ながらもう少しというところでしょう。でもところどころ紅葉した木はあると思います。連休でないと泊まりができないから仕方がありませんね。
 やることは、1日目は、瓶ヶ森・瓶ヶ森林道周辺を散策。瓶ヶ森は駐車場からは標高差200mもありませんから、のんびりと歩いて1時間で山頂に着きます。林道周辺で紅葉が見られるでしょう。途中で伊吹山に登ってもいいし、ブナの木に登ってもいいし。その晩は、山荘しらさで泊まって、もちろん歌って語って語り明かしましょう。夕方には、夕焼けと石鎚が同時に見られるでしょう。まだそれほど寒くはないから、夜空の星を見ることも十分可能です。
 歌集と楽譜を用意して、多少練習してきて、録音してCDにしましょう。歌う場所は、部屋の中でもいいし、戸外でもいいし、どこか空いた場所を探してもらいましょう。ロビー・ホールがいちばんいいのですが、この時期はお客さんがたくさんいると思うので、むずかしいかなという気がします。まあ、しらさは広いから何とかなるでしょう。
 翌日は、さあどうしましょう?朝食を食べ終わったら解散? 石鎚に登る? どこか手頃な山へ登っておしゃべりと歌(手頃な山はいっくらでもあります)? 面河は紅葉は11月の中旬だからまだまだです。 林道を下りたら高知側に「木の香温泉」、西条には「武丈の湯」とかあります。まあ、時間との相談で向こうで決めますか。
 集合の仕方は、基本的に車ですが、個人個人ばらばらでいくよりかは予定が同じ人同士が乗り合わせたほうがいいと思います。ルートは二つ。
 松山側は、33号線御三戸から、面河線に入り、石鎚スカイラインを上がり、土小屋より瓶ヶ森林道に入り、途中山荘しらさがあるが、瓶ヶ森駐車場で集合とする。
 西条側は、西条から194号線を高知に向かって南下、新寒風山トンネルを越えてすぐ左に折れ曲がって林道に入り急なジグザグ道を上がっていき、やがて旧寒風山トンネルのある峠に着くので、そこから左折して瓶ヶ森林道をひた走り駐車場へ着く。
 実は、西条から松山ルートへ回ると大回りだが、松山から西条へ回る西条ルートは松山ルートとそれほど変わらない。
 たとえば、僕はどこかで広島グループを拾って松山か西条へ行き、上っていく。もし松山グルーぷが道が不案内ならば松山を回ってもいい。大阪や徳島からは当然西条コースとなると思うが、大阪・淡路・徳島は線でつながるので合流しやすいはず。
 とりあえず大まかなところはこんなことでどうですか。小雨決行です。ご意見をお聞かせ下さい。

 実は、今年の瓶ヶ森は最高に美しいのです。それは、瓶ヶ森名物の笹のせいです。きっと今年の天候のせいだと思いますが、石鎚山系の笹がたいへんりっぱに生育して、素晴らしい緑のじゅうたんを生み出しています。私は、毎年それも1年に何回か石鎚山系に足を踏み入れていますが、今年ほど笹が元気に繁茂しているのを見たことがありません。ふつう笹というのは、夏であっても、どうしても笹の葉の周辺が黄茶色っぽく枯れてしまうのですが、今年はそれがほとんど見あたりません。しかも新しい葉がぶわーっと開き出していますから、本当に分厚い笹のおふとんになっているのです。これをぜひみなさんに見てもらいたいとの思いもあって、ぜひ10月7日・8日の集まりを成功させたいと思います。
 その笹を見ることになった8月19日の石鎚山行を、南アルプス紀行よりも先に載せますね。
  

2007年08月27日 Posted by Poppo at 03:15Comments(9)

本当にありがとう 

秋田はやっと晴れ・この間はとの皆と会えた事を思い出しながらなんて幸せ者!かと思っています・ケシコもツブもアキジもジャリもピンコものんのもファブも変わったけど変わってない!せんまいは変わった!!でもやさしいまんまだった!愛媛にわらびざの劇場ができるなんて夢のようで今も不思議だけど何かの縁だよね、わたしも本舞台だけでなく、できることがあればやっていくつもりです。声かけあって元気になることやっていきたいですね。ポッポさんガイチさんヨッコさん、そして同期の皆さんこれからもヨロシクお願いします。                                            家族の写真です。載らなかったらごめんなさいね!  

2007年08月23日 Posted by おとみ at 15:52Comments(8)

はと/もう少し

 みなさん、こんにちは。私の夏期講習会はあと3日で終わります。今日からその講習会の各クラスごとの期末テストになり、授業は楽になりますが、テスト作成と膨大な採点が待っているので、時間的な余裕はなかなかない状態です。
 それと秋からのクラス編成とか授業カリキュラム作成とかの事務的な仕事も、この3日間でやらないといけないので、ちょっとねー。
 暑さもそれほど和らぎません。さきほど雨が降りましたが、蒸し暑い。気温は少し下がったかなあ?
みなさんも体に気をつけて、もう少しの間、お互いに頑張りましょう。
 このブログには「コメント書込」とは別に、「記事の投稿」もできます。「記事」というのは、今現に私が書いているこれそのものです。写真を入れたり、文字を飾ったりできます。記事の投稿もフリーでできるようにしていますので、コメント書込だけでなく、記事も投稿してください。そのためには1つだけ条件があって、大したことはありませんが、この「いーよブログ」の会員になるだけです。お金はいりません。ちょこっとデータを入れるだけです。ま、やって見てください。  

2007年08月23日 Posted by Poppo at 08:40Comments(1)

はと/山1日目

 お盆の山のことは、家族にもあまり話さないので、下地がないですが、なるべくみんなが楽しめるよう頑張ってみます。
 山登りは、大変しんどい、大変暑い、大変重い、大変長い、大変汚い(山ではなく、自分自身や寝るところやトイレ)のに、何が楽しくて行くのかさっぱり分からん、という人がいますが、当然だと思いまする。だって、山登りする当人も、そこのところはよー分かっておらんのであります。などと言うことを、山で行き当たりばったりの「同志」と話をします。「ひー、しんどい。ねー、この稜線、ほんの少しのアップダウンに見えたけれど、登ってみたら、がーん、大下りが口を開けて待っているじゃないですか。これって地図で見ると400mの降下ですよねー。さっき2時間かけてやっと600m上がって来たというのに。」「シジフォスの不条理かヘラクレスの難業か。」「岩陰を曲がると、まっすぐで平らな登山道があることを夢見ますね。」「しかし、この上がり下がりがないと来たかいがない。」「どうしてそういうことを思うのでしょうねー、僕たちって。」「これはもう生命体の持つ本能、宿命ですね。」などときりがないことをしゃべります。いつかどこかで話したことが、何度も出てきます。今回は、冗談を交えました。
 「政府は裏できっと全国の登山愛好者のリストを作っていますよ。二人とも載っていますね。」「何にする?新しい税金を作る?登山税?」「それもあるなあ。高ければ高いほど喜ばれる。税率を上げても、登山者はしぶしぶ歓迎するだろう(笑)。実はね、登山って、基本的に軍隊行動でしょ。だからもし徴兵するとなると、いの一番に登山者が狙われると思うよ。あなたも僕も絶対に甲種合格ですね、間違いない。年齢に関係なく、ただ山が好きだと最初に引っ張って行かれるよー(笑)。今の若い人は、登山はしないし、きっと根性がないから、政府ははなから相手にしない。とほほ。」
 山は、具体的な対象物です。あそこに登るには、どう道を辿るとか、どこの岩陰に何の花が咲くとか、よくにわか雨が降るとか、そんなデータというかプロフィールがだんだんと貯まっていって、一つの山に一人の人格なようなものができていくのです。同じ山に何度も登るのは、そんな過程が楽しいからでしょう。行くたびに違う姿を見せてくれるし、変わらないものもしっかりあります。そうそう、もちろん、一目ぼれだって、ちゃんとありますよ!
 それでは、私の4日にわたる登山を思いつくままに書き連ねますので、とりあえず辛抱強く付き合ってください。「はと」のことも間に入れようと思います。
----------------------------------------


1日目:
 前日に仕事が終わってすぐに車の中で着替えて駅に直行。福山は文化果つる街だけど、登山も果つる街と言っていいくらい登山人口は少ない。いくら車で麓の登山基地まで行く人が増えているといっても、普通お盆のJR駅というのは、どこでも帰省客と同時に多くの登山客を見かけるのに、ここ福山は皆無か一人か二人くらいなものだ。したがって僕の格好は大変目立って、生徒などにすぐ見つかる。
 最近、お盆休みが短くなったので、その休みをフルに使おうとすると、どうしても前日から寝台車で行かなければならない。高くつくけれども仕方がない。2年前になるが、前もって寝台券を買う暇がなくて切符類を全然持たずに11時頃に駅へ行った。当然窓口は閉まっており、改札口で事情を話すと、「ホームまで行かせてあげるけえ、行って上手い具合に車掌を捕まえて、席が空いているかどうか聞いたらいい。運が良かったら乗せてもらえるだろう。」と言うので、車掌のいそうな号車を聞いて、その位置で待機した。このときは運良く乗ることができた。お盆は寝台車はとても込む。今回も予約がぎりぎりになったので、すでに安い2段ベッドの席はなく、個室を頼むことになった。でもあのシングルは1000円高いだけで、こぎれいでラジオ・アラーム・ライト・ビューウインドウ付きで居心地が大変良かった。もうこれからはこれに限ると思った。
 さて、ムーンライト瀬戸が早朝4時半に静岡駅に着いて、下りてバス停を探す。さすがに南アルプスの玄関口なので、待っているとけっこう並んでくる。ここから3時間半バスに揺られて、南アルプスの麓の町、井川町まで行くことになる。途中休憩が2回ある。トイレのためとか気分が悪くなる人が出てくるからだ。写真の井川鉄道の終点の井川駅の下にある「やまびこ」というお店では、おでんとトウモロコシと山菜そばが有名。朝早かったので、おでんはまだだった(食べる気もしないが)。トウモロコシを買って食べた。



 最終バス停は、畑薙(はたなぎ)第一ダムだが、最近の台風のため途中で道路が崩落して通行不能になっている。その手前でバスから下りて20分くらい歩くと、ダムの手前で東海フォレストの送迎用のリムジンバスが待っている。南アルプスのこの辺り一帯は、実は私有地、東海パルプ・東海フォレストという会社の社有林なのだ。この会社が登山道整備や山小屋経営をやっていて、山小屋の利用客のみに送迎サービスをしている。ここから1時間くらい未舗装の林道をがたごとと強烈に揺られながら山奥へ入っていくのだ。
 今年、想定外だったのは、その送迎用の小型バスが2台しか奥に置いていなくて、あとの2台は道路崩落地よりも外に置いてあったことだ。この2台でピストンで運んでくれるのだが、当然足らなくていわゆる積み残しが出る。バス停までは車で来る人もたくさんいるから、東海フォレストの乗車場に着いたときは、すでに行列ができていた。係員に尋ねると、とにかくその2台と小型車を2台投入して50分くらいの早いスピードで必死で頑張っているとのこと。でも、この炎天下で2時間は待ってくれだとよー、とほほ。予定では、登山口の椹島(さわらじま)へは10時に着いて余裕で千枚小屋まで登れると思っていたのが、2時間は遅れる。となると、夕方5時までに小屋に着くのはむずかしい。案の定、係員も、「千枚小屋行きを予定されている方は、コース変更して4時間で登れる赤石小屋にするか、椹島ロッジで一晩過ごしてください。」と言う。僕が「3年前に12時に登り始めて5時過ぎに千枚小屋に着いた。」(本当)と言うと、「それは健脚。では遅くなってもいいように小屋のほうに連絡しておきます。」という返事が返ってきて、一件落着。



 またまた想定外だったのは、やはり年ですねえ、千枚小屋への分岐点でバスを下りて、道ばたの草いちごを食べながら歩いていて、写真を撮ろうと、カメラを……「あーいけね、バスの中に忘れた!」すっ飛んで登山道を下って椹島のバス乗り場へと急いだ。良かった良かった。人のいい運転手が窓からカメラを提げて待ってくれていた。「だから、下りるときに忘れ物をしないようにと言ったでしょう。」(笑)でもこのときの30分程度のタイムロス、そして何よりも垂直100mくらいの下りと上りで消費した体力の損失が大きかった。
 まず始めに登る山は、荒川三山と呼ばれる荒川東岳・中岳・前岳の山群で、すべて3000mを越えている。登山基地の椹島(標高1100m)からは1日かかるので、今日は途中の千枚小屋で泊まらねばならない。そこまででも標高差は1500mある。南アルプスは北アルプスよりも南にあるので、森林限界が高くだいたい2600mまで樹木で覆われていて、そこから上がハイマツ帯や岩稜帯になる。山小屋はすべてこの森林限界の場所にある。そうでないと水が出ないからだ。ただし、避難小屋は山頂付近にあり、この場合、水は持って上がるか雨水に頼るしかない。
 さて、千枚小屋までの登りだが、とっても長いのである。しかも、取り付きから問題があって、いやな道だ。山の急斜面にそこを横切る道(トラバース道という)を付けると、斜面がちぎれた形になり、植物の根も途切れてしまうので、しばしばトラバース道を境にして斜面が崩落することがある。すると人間様は、その崩落地の上を巻くような道をつける。これを高巻きという。ところが、やがて高巻き道を境に、この斜面は再度崩落する。すると、さらなる高巻き道をつけて、またまた崩落…。結果、要するに尾根まで届く道をつけることになり、千枚小屋への登山道がまさにこれで、取り付きから急傾斜でぐんぐんと尾根まで上がらねばならない。標高差200mも歩き登ると、そこには中部電力の高圧送電線の鉄塔がある。鉄塔を二つ過ごした後は、今度は200m下降してもとの登山道に戻るのだ。何をしたのか分からない、ああ、いやだいやだ。




 初めてこの道を歩いたのは、20年近く前で、当時は植林した木がまだ若く、ヒノキが僕の背を越したくらいだった。しかし、今歩くと上からおおいかぶさって十分に日よけの役目を果たしてくれる。幹の太さは直径10cmにまで成長している。南アルプスは、樹林帯が長くなかなか眺望が開けないが、ときどき伐採地を通ると、はるかな山なみが見えることがある。そのうちの一カ所、通称見晴台(標高2100m)で写したのは、明日の目標の荒川東岳(悪沢岳ともいう)と、荒川中岳である。はるか遠いことが分かると思う。千枚小屋は、悪沢岳の右側が千枚岳でその直下にある。



 樹林帯の中で見つけた赤いきれいなキノコだよ。ほとんどの人が、「やや、毒キノコ?」と思うだろうが、残念ハズレ、これはキノコの女王のタマゴタケ様で食用でござるよ。味は淡白で上品、西洋料理に合う。迷った挙句、採取した。二日後の赤石山頂でクノールスープの具になったのでござるよ。ラーメンや味噌汁に入れると、負けてしまって味がさっぱり分からなくなるのでご注意。けっこうどこにでもあるキノコだが、知らない人が多いので、採られずに残っている、ラッキー。



 これは標高2400m付近の樹林帯の中にある駒鳥池。貴重な水だが汚くてとうてい飲めたものではない。年間平均気温が低いので、有機物の分解が進まず、だんだん湿原化していっているようだ。真中の倒木は20年前からあのまんま。腐らないね。いったいいつからあるのだろう。
 椹島を出たのは、僕が最後と思われるが、途中で大体10人くらいを追い抜いた。清水平(標高1800m)という水場で男二人女二人の若い社会人のグループと仲良くなって、前後しながら登って行ったが、けっきょく僕だけどんどん先を行くことになった。でも、翌日もずっと仲良しで花の名前を聞いてくれたり写真を撮ってくれたりしたものだった。キョービ、山は若い人は本当に珍しい。昔懐かしいワンゲルとかはもはや存在しないし、学生風の登山者は皆無と言っていい。年齢層は圧倒的に中高年、しかも60歳以上がやたらと多そうだ。団塊の世代が定年を迎えて、超高級なデジタル一眼レフを超重量級の三脚に取り付けて、ぜいぜい言いながら登っていくのが流行だよ。三脚は不要だと思うがどうして持って行くんだろうね。女性も多い。こちらは男性よりは少し若い年代だ。いわゆるおばさんだよ。花の咲く高山植物の話ばかりしている。かなり大きなザックには、毎日の着替えと化粧道具が一式入っていて、食料その他の山での必需品は、夫その他の男性のザックのお世話になっているようだ。
 僕のように昔から山登りしている者から見ると、山小屋の風景は一変して、登山者が年取ったなあと感じる。しかし、僕自身も年を取っていったわけだから、当然と言えば当然だが、それでも何か違う。世代交代がなされていないのだ。僕はまさに「はと」の今回の集まりを思い出していた。心は変わっていないけれど、要するに年を召したものばかりの集まり、山小屋もそっくりな状況だ。JRの駅、バス停、バスの中、登山道、山小屋、山頂、どこに行っても年輩者ばかりだ。これって変だよ、やはり。この年輩者達が本当に足腰が立たなくなると、登山人口は激減して山小屋経営も苦しくなるのではないかなあ。でも、山のオーバーユースがなくなっていいかもしれない。現在は、地球温暖化と同じく山の中高年によるオーバーユースは止まるところを知らない。



 やれやれやっと千枚小屋へ辿り着きました。出っ鼻での失敗のせいで、足に無理が来て下りのとき痛くてたまらなくなっていた。そのせいで時刻は6時前。6時間かかってしまったなあ、残念。ご褒美は、この通りの見事な富士山。山の色、空の色とだんだんと変わっていく。見ていて飽きない。夕食が遅くなったので、ちょうど良かった。心ゆくまで眺めていた。夕食はもの足らないような質素なもの。北アルプスならもっと豪勢なものが出るので、だいぶ差がついている。まあ、足も痛いし早く眠って明日に備えよう。



 ただ、今年のお盆は特別に込んでいた。きっと、バス路線の県道の崩壊箇所が、8月2日になってやっと歩行者のみ通れるようになって、お盆に登山者が殺到したせいだと思う。登山者は、バスを下りた後20分歩かねばならない、というので、あまり人が来ないだろうと、みんなが思ってやってきたのだろう。思うことはみんな同じ、実は僕も同じだった。それと、お盆の天気が史上最高の高温を記録するほどの晴天続きだったせいもある。今年は、どの山小屋でも畳半畳での肩身の狭い思いをしなければならないだろう。



お休みなさい。必需品は懐中電灯と耳栓です。分かりますね。  

2007年08月18日 Posted by Poppo at 02:02Comments(11)

はと/ただ今!

 うわーい。お待たせしました。誤解しないで、逃げたり隠れたりしませんよ。
 昨日の夜10時過ぎに帰って来て、息子夫婦や娘や孫たちの泣きわめきの歓迎を受けて、相手をして時間は過ぎていきました。最悪なのは、というか無謀なことに、明日からお盆明けの仕事が待っているのでした。そのためには、少しは予習をして何より寝ておかなくてはならないのです。
 ブログは一通り見たよ、見たよ、見ましたよ。書き込みとか更新もしたかったのだけれども、山の写真をパソコンに取り込んで眺めていたら、もう眠くて眠くて見ておられなくなって寝てしまいました。
 メールはさきほどチェックしました!
 きっとガイチ君はが13日のことはブログの記事にしてくれると期待、信頼していました。やはりその通りでうれしかったですね。みんなの反応がたくさんあって、すごいすごい。
 何より、13日も派手に盛り上がって、それがいちばんうれしい。ジャリ夫妻がそろって来ることができてよかった。のんのとあきぢやファブは実際に顔を合わせたのは30年ぶりだっただろうし。ツブやBun、もちろんオトミもそろったしなあ。こうやって、少しずつでもみんなが集まってくることが現実になって、もう感無量だよ。
 ごめん。もう少し明日の仕事のことを片付けて、家に帰ってから、「更新」するよ。  

2007年08月16日 Posted by Poppo at 22:38Comments(8)

はと/秧鶏


秧鶏は飛ばずに全路を歩いてくる
    

秧鶏(くいな)のゆく道の上に
匂ひのいい朝風は要
(い)らない
レース雲もいらない
        
霧がためらつてゐるので
厨房
(くりや)のやうに温(ぬく)いことが知れた
栗の矮林を宿にした夜
(よ)
反落葉にたまつた美しい露を
秧鶏はね酒にして呑んでしまふ
         
波のとほい 白つぽい湖辺で
そ処
(こ)がいかにもアット・ホームな雁(がん)
道づれになるのを秧鶏は好かない
強ひるやうに哀れげな昔語
(がたり)
ちぐはぐな合槌できくのは骨折れるので 
     
まもなく秧鶏は僕の庭にくるだらう
そして この伝記作者を残して
来るときのやうに去るだらう


※昭和十年(二十九歳)『コギト』四月号 後に『わがひとに与ふる哀歌』に所蔵

 この「秧鶏は飛ばずに全路を歩いてくる」の詩は、作者が二十九歳(一九三五年)の時の作品である。彼は、京大の国文科を二十三歳(一九二九年)で卒業し、大阪の住吉中学校に国語教師として赴任した。もちろん旧制中学校だから、現在の高等学校のようなものである。この時点から、高校生に国語を教えながら詩を書き発表するという、彼の基本的な生活形態が始まる。二十六歳で高等女学校の教諭、山本花子と結婚し、三十歳で長女をなしている。
 二十九歳というと、人は、大体において青春時代が終わり、人間が落ち着いてくる時期であろう。特に普通に家庭を持つ身となるとなおさらであろう。しかし、詩人というのは、そう一筋縄ではいかないという「常識」がある。ただし、彼の場合は、戦争をはさんでの混乱状況をかなり体験するが、終戦後の学制改革で、住吉中学校が阿倍野高等学校に変わっただけで、先ほどの生活形態はほとんど変わっていないのだ。教師、公務員という職業柄、しかたがない、または、運が良かったのかも知れないが、何やら、一般人の詩人に対する「常識」と少し食い違うのである。要するに、彼はまじめな人物であったと言えよう。
 しかし、この詩はどう読めるだろうか。明らかに、青春の意志の持つ、ある「断定」を含んでいるのではないか。彼は、何か志を持っている、それは野望かも知れない。しかし、したがって、実生活とのずれを意識せざるを得ないのである。実は、彼は、詩の発表、また、同人誌への参加は大変熱心であった。さらに、教え子の卒業生を交えた詩作活動も行っている。さて、その「断定」を少し探ってみよう。
 まず、秧鶏は鳥の一種だけれども、鶏のように地面のエサをついばんで歩くことが多く、くちばしは細く長く、飛翔力は強くない。また、群を作ることも少ない。何年か前、沖縄の西表島で「ヤンバルクイナ」という新種の鳥が発見されたことがあるが、あの気の強そうな黒い鳥も「くいな」である。一羽だけで、くいくいと地面をにらみエサをついばみつつ、密林の中を前進する姿が想像される。一方、雁は群をなすので有名で、「クェークェー」と甲高い声で鳴く。井伏鱒二の「屋根の上のサワン」を思えばいい。
 次に、「この伝記作者」とは、この詩の作者の伊東静雄であることはもちろんである。そして、この秧鶏の伝記を書くのである。秧鶏は、作者のもとに来て、自分の体験談、冒険談、おそらく孤独なたたかいの日々のことを語るであろう。その話は、普通の穏和な家庭的な人生の話ではない。そして、何かを達成させたとは未だ自覚されない「過去」を語り終えると、また完成できるかどうか分かりもしない「未来」へ向かって、同じように地面を歩いて去ってゆくのである。何かを求めて歩き続け、やがて求めきれずにそのまま力つきて倒れる……
 この擬人化された「秧鶏」もが、実は作者自身であることもほぼ明らかではないだろうか。ただし、実体であるのか、願望であるのかは定かではない。前述したとおり、彼は、実生活は、まじめな普通の教師かつ家庭人なのであって、お酒は多少飲んだかも知れないが、大体において毎日快適な朝を迎え、路傍をさまようこともなく、平和な日々を過ごしたようである。(もちろん、戦争によるものは別である)
 しかし、その「秧鶏」である彼は、詩の中では、「匂ひのいい朝風」や「レース雲」は不要だと言っている。また、「栗の矮林を宿にし」「美しい露をね酒にし」と述べて、放浪の身の上を明らかにしている。「アット・ホームな雁」の話とはかみ合わず、「ちぐはぐな合槌」で応対するのも嫌で、要するに、そのような生き方は彼の理想ではないのだ。
 私には、この「秧鶏」は、文学史上の有名な二人の人物「西行」と「芭蕉」に重なって見えてしかたがない。まさに彼らは人生を旅ととらえ、旅をする中でこそ、詩の達成は叶うと考えていたのではないか。空中を飛んで旅をすると苦労はいらない、が、したがって見るべきものに肉薄できない。見るべきものに肉薄して詩の精神を研ぎ澄ますには、やはり全路を歩かねばならないのだ。ここに、「詩」に対する、伊東静雄の断定がある。詩は、かく作りかく語らねばならないのである。「俺はいつかはこの生活を捨てて、詩のために一人で生きねばならないかも知れない。」と思い、その願望がこの詩に現れているようである。
 ところが、しかしなのである。ここは非常におもしろいのだが、「まもなく秧鶏は僕の庭に来る」のだが、「この伝記作者を残して」「去るだらう」ということなのだ。実は、彼、伊東静雄自身はやはり踏み切れずにいる! 頑強な詩人である「秧鶏」は先へと行ってしまうのだが、自分はどうしても一緒にはいけないのだ。詩の道を究めることは出来るのだろうかという寂しさがないでもない。私は、こう思っている。彼の詩の持つ抒情は、この、志はあるけれども今一歩踏み出せないでいる、矛盾した人間の醸し出す寂しい味わいであると。自己に対する弱さが強い気迫のある詩を生み、孤独になりきれない悲しみが我々の共感を呼ぶのだと。
  

2007年08月11日 Posted by Poppo at 16:00Comments(0)

はと/お盆

●お盆ですねー。みなさんと私自身に向かってファンファーレを吹きます。


 みなさん、こんにちは。もうお盆前は忙しくて疲れて眠くて、更新せず申し訳ありません。コメントを書き込む場所もなくなりますね(笑)。
 そして明日からお盆休みですが、私はこのときにしか北アルプスや南アルプスに行く機会がないので、このブログをそのままにして行って来ます。もう今晩に寝台車で行きます。お盆休みがたった4日しかないので、必死で行動します。
 予定は、明日の朝、静岡についてバスで半日ほど山へ、南アルプスへ向かって北上します。広島県では1時間半も北へ向かって走れば中国山地へ着き、島根県へ抜けてしまいます。愛媛県だって、南へ向けて1時間半も走れば石鎚山系や高知県へ行ってしまいます。が、静岡県は奥が深いのですよ。北へ向かって延々と走るのです。道が悪くなるからいっそう暇を食います。
 昼過ぎから必死こたんで5時間ほど歩いて登って、千枚小屋に着いてここで一泊。目の前に富士山が見えるいい立地です。翌朝からせっせと歩き登って3000mの荒川三山を越えて、一度下って荒川小屋で昼食。ここの野菜カレーは名物。また登り返して、3000mを超えて赤石岳までえんやこらです。ここの避難小屋で二泊目。本当に山頂で360度完全に見えます。夜は地面に寝転んで星でも見るかなあ。前回は、小屋の人といっしょにヘリポートで寝袋に入ってコーヒーを飲みながら、また語り合いながら寝転んで2時間くらい星空を見上げていました。
 朝、またまたかなり下がる。百間洞の小屋まで下がり昼食。ここは沢の水で冷やした冷やしそばが名物。お腹を満たしたあと、強烈な登り返し。しかも途中に大きなピークが二つ。そのたびに登っては下り登っては下りしなければならない。中盛丸山と兎岳で名前は優しそうなのだけど、そんなことはみじんもなく、ここはしんどい。で、やっと最後のどおーんと大きく登って登って3000mの聖岳に到着。そしてまたまた下って下って聖平小屋で3泊目。何か登り下りをしに来たような感じです。
 さて、翌日も朝っぱらから体にこたえる登り。登って登って上河内岳。あとはぐんぐん下って下って茶臼小屋で昼食。で食ったら即茶臼岳へピストンして、その後は下山開始。もうどんどんどんどんぐんぐんぐんぐん下がる下がる。標高差2kmを一気に下がる。さて、最後の難関は、畑薙の長吊橋。あれって200mくらいあるんじゃないかなあ。長い、高い、怖い、上下に揺れる、左右に揺れる、すれ違いで板のないところへ一歩踏み出す、もっとも問題なのは、渡り始め。長いから吊橋全体が懸垂線になっていて、両端は急傾斜になっているので、つんのめるようにして渡り始めなければならない。とっとっとっとっと、うわあーい、揺れるよー。
 で、無事畑薙第一ダムまで、到着。ところがバスはここまで来れない。今年の台風4号と5号のダブルパンチで県道が崩落していて絶壁状態。10分くらい桟道を歩いて通過しなければいけないらしいぞ。ずっと以前もそんなことがあったなあ。
 ということで行って参ります。15日の夜中に福山に帰ってきますので、それから頑張って更新を…グーグー。
-----------------------------
 13日の集まりは、楽しそうですね。お昼は、利楽の和室で歌う会ですか?暑くなくていいだろうね。ごろ寝もできそうだし。でも、滑川渓谷はきっと気持ちがいいと思うよ。
 そうそう、のんの。滑床は宇和島だけど、ここ川内は滑川だよ。滑床に似ているけど規模は小さいし、たぶんサルはいない。
 私は、天気がよければ、その日の夜は赤石岳の山頂で、ペルセウス流星群を見ていることでしょう。3000mを越えているので外は寒いから布団にくるまって見ます(笑)。  

2007年08月11日 Posted by Poppo at 15:40Comments(12)

はと/夏の終り


夏の終り


夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落す静かな翳
(かげ)
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
いちいちさう頷
(うなづ)く眼差(まなざし)のやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田
(みずた)の面(おもて)を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
ずつとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる


※昭和二十一年(四十歳)『文化展望』十月号 後に『反響』に所蔵

 この「夏の終り」は、一九四六年つまり終戦間もない頃の作品で、伊東静雄が四十歳の時のものである。彼は、二十四歳から詩を書いて発表し始め、大体コンスタントに毎年数編から十編程度作り続けていた。ただし、この前年の一九四五年には発表作品はないようである。そして、一九四九年に肺結核を患い、そのまま入院生活を送り、一九五六年に満四十六歳でこの世を去っている。
 伊東静雄の詩は、端的に言うと抒情(叙情)的=リリカル(lyrical)だと表現されている。抒情詩とは、「外界の事象によって誘発された作者の感動を直接に表現した詩。リリックのこと。」と新明解国語辞典に載ってはいるが、これでは、ほとんどいわゆる「詩」というものの解説にすぎないと思われる。実は、逆にこの「夏の終り」を味わうと、抒情詩というものがはっきりと理解できるというのが、伊東静雄の面目躍如たるところなのである。この詩は、まさに抒情的というほかはなく、あふれ出るリリシズムがあるとか言ってもいい。では、それを少々分析していこう。
 詩の内容は、タイトル通り、去ろうとする夏を急いで飛び去ってゆく白いはぐれ雲で象徴したものである。一人の人や一つの物、また、ある時間が去るときは、そこに哀愁というか郷愁というか、抒情が生じないわけにはいかないものだ。白い雲が、地面つまり人々の生活の表面に影を落とし、その移動により、はっきりとお別れのメッセージを伝えていることになっている。しかも、読み手に対してその理屈を理解して分かって欲しいというよりは、読み手の体験したがってまさに本人のノスタルジー、リリシズムに訴えているように思える。
 私には、この詩の中身のような体験は二つはっきりと思い出せるものがある。一つ目は、小学生の上級の何年生だったかは定かではないのだが、私のそのころの第二のふるさと、御調郡久井町中野という田舎でのことだ。小学校を少しの距離背後にして、田舎の道を歩いていたときのこと。道の周囲は田んぼで、少し離れると低い山林のふもとに人家が散らばっている、よくある農村の風景である。ふと田んぼの水面を見ると、日の当たっているところと陰のところの境目がくっきりと見え、しかもその境界がものすごいスピードで移動しているではないか。子供の私は、上を見て雲の様子を確かめると同時に、その速さについて必死で道を駆けていったことをしっかり覚えている。おそらく、にわか雨の上がった後ではなかっただろうか。私の他に友達がいたかどうかはまるで覚えていないが、もし、いたとしたら多分みんなで大声を上げながら雲を追って走っていったでことだろう。その時の強烈な印象は、「雲が見える、すぐ目の前に、あの空にいる雲が。」だったのだ。そもそも曇りというのは、頭の上に雲があってその影の中に我々がいることなんだということは分かっていたし、また、戸外にいて自分の体に日が射したり陰ったりして、暑いとか寒いとか感じるのも雲のせいだと、空を見てきっちり知っていたのに、このときほどそのことを思い知らされたことはなかった。雲が我々の生活の場へ手を差し伸べたと実感したのだろう。あのときの雲の影は追いかけてしかるべき雲の姿だったわけである。
 二つ目は、わりと最近、何年か前、県北の比婆郡高野町の毛無山に登った後、村落が眼下に広くひろがっているのが見下ろせるぐらいの所まで下りてきて、一息ついていたときのことである。その町は周囲を山々に取り囲まれた中に少しの平地があって、そこに人々が暮らしているところだ。上から見ると、細長い平地の真ん中に一本道路が通っていて、その周りに田園が、そうあのときも田には若い苗がいっぱいで暗緑色で、しかも水面は日を反射して光っていた。その谷間の村落の姿をカメラに収めようとして構えていると、雲の影がスポットで水田に落ち、そこは水面の輝きが消え、そして移動し、また輝き始め、隣接した別の水田が暗くなり、やがて影は水田から上がり、人家を越え、山林の樹々の模様に紛れ消えていった。もちろん、この時には、私は伊東静雄の詩はよく知っていたので、脳裏でこの詩を読んでいた。「…やがて優しくわが視野から遠ざかる」
 私の場合、この詩の味わいは、このように自己の体験と相まってとてもよく分かって、そのリリシズムが、説明は不要のごとく五体に染み込んできた。少年時代の漂う懐かしさを一つの固定した形にしてくれている。また、彼がこの詩を書いたときの心境と、私が一人山を歩いていた時の心情が重なり合うものがあったと思う。
 この詩では、雲また雲の影はもちろん擬人法で表現されているが、それは当然であってそう重要なことではない。大事なのは、伊東静雄の肉体は下界にあって、その目は雲とその影の動きを見つめているが、実は、彼の魂は雲と同一だろうということだ。ということは、彼が何かに別れを告げていることになる。また、「ひとりはぐれた白い雲」とあるから、彼は、孤独または孤高の精神の持ち主と考えなくてはならない。この発想は「晴れた日に」の詩に通じると思われる。
 ともあれ、この詩は紛れもない抒情詩である。説明が全く不要なくらいの抒情詩なので、まず、そういう理解をすることが肝要だと思う。それと、詩は必ず音読を伴って味わうものだということもよく分かる。この詩では、連続するア音とイ音が心地よく素敵だなあと感じてしまう。たとえば、「夜来」「台風」「はぐれた」「かぐはしい」「大気」「ながれて」「太陽の」「かがやく」「いちいち」「一筋」「ひかる」「ちひさく」「しづかに」など。また、「……さよなら……さやうなら……」の読みながら涙を伴いそうになるパッセージはどうだろう。イタリア映画「イル・ポスティーノ」の中で、今世紀最大の詩人と言われるパブロ・ネルーダがこう言っていた。「詩の言葉は他の言葉で置き換えて説明はできない。まず、その言葉の情感を味わうことだ。」と。
  

2007年08月09日 Posted by Poppo at 02:07Comments(15)

はと/うわさの二人



 ちょうど、ある二人がいっしょに写った写真がありました。はとの定期演奏会の受付をしてくれたのです。13日の集まりに来るのですが、さてガイチ君、分かるかな。何かねー、この写真の中の二人は、僕の頭の中のイメージよりもちょい若い感じなのです。あれれれ、こんなにガキだったかなあ?これじゃまるで中学生だよ。ま、当日頑張ってください。

 キムチ、ピピ、タクアン、ヤスベエから、13日は無理との返事が来ました。みなさん、多くの方がいやしくも一家の主だからねえ、親戚つきあい、兄弟つきあい、私用とけっこうお盆って多忙ですよね。墓参りに仏教ならお坊さんが家に来るし…。
 私の家も、娘の家族と息子の家族がみなやってくるので、一挙にプラス7になります。でもマイナス1、おいらは、おいらはどうしても山に行かなくちゃならないんだ。マリタン、分かってくれ。おいらは好きで山に行くんじゃないんだ。人間と狸の…。この続きはまた「狸」を見てくださいね(笑)。

 そうそう、言い忘れていました、ごめんなさい。例の「はと」の写真のサーバーに、チョビンさんのフォルダができています。チョビンさんの写真が6枚入っていますから、まだ見ていない人は見てくださいね。
 8月5日の写真もこちらへ引っ越しました。ひょっとして、IDやパスワードをまだ知らされていない人はいませんか?それからまだ見れないという人はいませんか。見るだけなら携帯でも見ることができます。写真をプリントするにあたっての質問があればしてください。


  

2007年08月09日 Posted by Poppo at 01:36Comments(6)